苦しみからの脱却 <佐保田先生の著書&ジバナンダ・ゴーシュ師との出会い>

なぜ、私はヨ―ガに巡りあえたのでしょうか。

1974年、当時私は慢性胃潰瘍・腎機能からなる慢性膀胱炎に自律神経失調症。
今で言う鬱病で重症のノイローゼで自殺志願者でした。

ある日、3人の子供をつれて市場に買い物にいった時、突然倒れてしまったのです。
その時、親切な見知らぬおばあちゃんが自分の通う内科の医院に連れて行ってくださいました。
医師からは「貴方はこのままではいけない!紹介状を書いてあげますので直ぐ入院して適切な治療をしなさい。」
と告げられました。しかし、内心は 「そんなことできるわけがない」と思いました。

子供達は小さいし3人も置いてとても入院など・・・絶体絶命でした。
11年間も病院へ通って薬を服用し続けたのに治らなかったのです。
その頃はすでに、カナマイシンの抗生物質薬で右耳も突発性の難聴で聞こえなくなっていました。
これは、なんとしてでも自分で治すしかない!と思いました。

そんなある日、商店街の本屋さんで本をチラッと見たのが幸運にも、
佐保田 鶴治 先生の『ヨーガ入門』の本でした。
その佐保田先生の本を手に取っただけで、私は内容も読まないのに「これだ!」と直感したのです。
(何故か解かりません!今でも諸天の神様に感謝の礼拝です。)

当時はまだ誰にもヨーガなんて知られていませんでしたし、私もまったく初めて知る語でした。
そんな折、新聞でジバナンダ・ゴーシュ先生の指導がWMCA会館で受けれることを知り、入門しました。
今から35年前のことです。会費は月2回で1万円でした。

当時はOLの給料でしたから、とてもとても支払える金額ではありません。
主人の給料が手取りで3万5~6千円でした。しかし、東京から来てくださるのだし、
殆どマンツーマンですから妥当な金額だったのでしょう。

当時、師は東京から毎月第3火曜日に大阪のWMCA会館スポーツセンターに来て下さりました。
31歳からのスタートでした。

師は英語でしか指導しません、日本語は片言ぐらいでした。
師は生徒の進歩に応じて、グルが全責任を負って決定されます。
グルがこれと思う生徒を選び、特殊な方式で次第に開発を進められました。

その時期などは、グル自身がどのアーサナ・やプーラナ・ヤーマ・瞑想に入る時期か
お決めになられました。ヨーガの上級段階を目指す生徒は唯一、グルの指導に従って
すべてを規則正しく行じて行けばよいのです。

もし、グルの指示していないアーサナやプーラナ・ヤーマ・瞑想を自分で勝手に取り入れれば確実に破門でした。

例をあげますと、まだ、初心の男性で、急ぐあまり師の指導以外のアーサナを続けていました。
ある時、膝が痛みが出てきましたのでグルに相談。
グルは、どのように自宅で実践しているか?と訊きました。
彼はグルの指示した以外のアーサナも取り入れて進歩を上げたかったようです。
医師にはヨガは禁止といわれました。

それで師は、その人を「破門」なさいました。

師は申されました。

「古来からインドの伝統ヨーガは、グルが弟子に直伝で教えられてきた。
グルは生徒のレベルに合わせた指導をし、生徒は自分の成果や体験を、
他に絶対口外してはならない。口外すればその効果が消えてなくなる。秘密を守ること。」


グルだけが、その責任をお持ちでした。「今一度、私もこのことを固く守りたいと思いました。」

グルと弟子の間には、いつも自由なここらからの繋がりがありました。
ほとんど英語のレクチャーで理解できないのですが、グルの誠実さ・愛・平和さに、指導される内容が心で自動的に理解できるのです。

それは不思議としかいいようがありませんでした。

師は、本当に厳しかったです。生徒は誠実な努力、忍耐、尊敬,忠誠心、信頼を示すべきです。
これは私ごとですが、2歳の息子を連れて参加していましたから、実修中、息子は私の傍でなく
離れたところで待たせるのですが、2時間静かに待っていないと、ものすごく息子に向かって、
“ハアッー!”とお叱りになりますから、まだ、幼い息子には過酷な出来事です。

インド人など見たこともないし、眼がぎよろっと大きく、大きい男性ですし、
きっと2歳の幼児には恐怖だったでしょう。今、思うと本当に可愛そうなことをしてしまいました。
その為か今でも「絶対にヨーガは嫌」と、行じません。でも、師はお優しいお心の方でした。

ある時、レッスン中に、息子がシクシク泣いていました。すると、師は私に始めて日本語で申されました、
『たかこさん!チャイルドが、おしっこしたい!と泣いていますよ!』って、本当にその時のグルの慈愛というか、
平和というか、なんとも言えないバイブレーションが暖かくて。

今尚、思い出されます。きっと一生涯忘れないでしょう!


・・・次へ続く