絶望の日々

その後、身体に抱えていた不調は、ヨーガ修行のおかげで、少しづつ改
善の道を歩んでいました。
気を良くした私は、さらなる知識を求めて、佐保田先生のお弟子様に入
門を併用しました。

ジバナンダ・ゴーシュ師は英語しか話しませんので個人的な相談事や質問のコミニケーションが難しいのです。
そこで、日本語で教えて頂けるならさらに深く理解できるだろう、と思いました。
その頃、その道場ではどちらかというとアーサナが主で、あまり精神的面の指導はありませんでした。
誰もがアーサナの上達に意欲的でした。
私もアーサナが上達する事ばかりを考え、家でも暇があれば練習に励んでいました。

ある日、自宅で頭立のポーズのシールシァ・アーサナでパドマ(蓮華座に組み捻り)をしていました。
そのときお昼寝していたはずの息子が突然起きて来たのです。
そして「ママー」と、私の身体を揺さぶります。

さあ、大変です。

頭立でおまけに身体を捻っているのでポーズを戻す暇さえありません。
そのまま息子の上に倒れたら2歳の子の肋骨ぐらいは折れてしまうでしょう。
私はとっさの判断で、息子を避けて反対側に自らを転倒させました。
一瞬、首の頚椎骨が、バキッーと音を立てたのが聞こえました。
猛烈な激痛が走り、そして頭の中心が、外から焼け火箸を差し込まれてグルグルとかき回されてるように激痛が走り、心臓の心拍がドキドキして高鳴りました。息は苦しいし、手足がだらりとして力がまったく入りません。
事故です。頚椎の怪我です。

その日から、大阪市内の大病院を巡り歩きましたが、どこへ行っても症状は取れませんでした。しかし自分でしたヨーガの事故ですから、主人には一言も苦しみや痛みを言いませんでした。
このまま治らないなら、そして一生涯こんな苦しみが続くなら死ぬより仕方がない、自殺をしよう・・・とさえ考える程、精神的・肉体的に傷ついていたのです。しかし、幼い子供を3人も残して母としてどうして死ねましょうか。

私は毎日祈りました。
「天にいらっしゃる神様、もしこの状態を治してくださるなら、私はヨーガの指導者になって、どんなことがあっても、アーサナよりも精神的な面が先だと教える先生になります。アーサナがどんなに上手になるかではなく、心を統一して怪我をしないように、また、ヨーガで怪我や事故をさせないような指導ができる先生になります。そして、もし治らなかったら、その時は自殺します!」という誓いを立てました。

そして、この日解決できなければ、帰り道に電車に飛び込み自殺をしよう・・・と本気で決め、朝5時に起きて子供達一人一人の寝顔を見ながらさよならをし、家を出ました。

訪れたのは、京都の伏見桃山南口の日本ヨーガ・アシュラム・禅同友会の佐保田鶴治先生の道場でした。

・・・次へ続く