ウパニシャッドの体験

1990年にインドのニーム・カロニババのアシュラムに訪問しました。

ババはすでにマハーサマディーに入滅されておいででした。

その時に出会った聖者様がチャンドラ・シャッカル・シャルマンジーです。
動物園を経営しておられるネボーティ(帰依者のこと)のところに、シャルマンジーとご一緒した時の出来事です。
シャルマンジーは、ふとトラの檻の前で立ち止まると、なんと、檻の中に手を入れてトラの頭を素手でなでるのです。

これには驚きました。
シャルマンジーは慈悲のある聖者様ですし、又、恐怖心など微塵もないから猛獣さえ猫のようにおとなしくなるのでしょうか。

 日本でもこんな話があります。徳川将軍が、誕生日の贈り物に高麗からトラをプレゼントされた時の興味深いエピソードです。
将軍は見物人の前で柳生但馬守にトラの檻に入るように命令しました。
柳生但馬守は一刀を抜いてトラの檻に入り、猛獣のトラとウウーッ!と、刀を向けてお互いににらみ合いしたといいます。
将軍が、「もうよい!次は・・・。沢庵禅師殿はどうじゃな?」
それに応えて沢庵禅師はひょうひょうとトラの檻の中にお入りになりくるりっと猛獣のトラにお尻を向けて座禅の姿勢でお座りになられましたとのこと。
そして将軍の御声で檻から出る際に、トラにご自分の手のひらにつばを吐き、トラにぺろぺろとなめさせたといいます。
ここまで行くとまさに聖人ですね。

シャルマンジーが、プレマ・サット・サンガで1ヶ月間滞在なさいました折、本当に凄い体験がありました。
私達の目の前で心臓を止めるのです!もちろん呼吸も停止、五分間ほどでした。
しかも二回もです。

「今夜私は心臓を止め、呼吸を停止させますからお医者様を呼びなさい!そして、彼に私の心臓が本当に停止しているかどうかを調べさせなさい。」

と申されたのです。
 私の生徒さんにお医者様がおられましたので、聴診器をご持参の上来ていただきました。
五分間ほどマハーサマディーに入られました。
まことに尊く、人間が目の前で仮死状態になられたのを二回も拝見したのですが、言葉ではその時の厳粛さを到底言いあらわすことはできません。
そうして、チャンドラ・シャッカル・シャルマンジーは私に「無分別三昧」を体験させたのです。
滞在中のある日、三人に瞑想のお話をなさいました。

テーマは「すべてのものに区別や差別はありません。皆同じ神の世界を生きています。」
と言うものでした。
通訳は私の長女です。当時は大学生でした。

ところが私達はなかなか、そこまでいきません。
人を差別したり、気に入らない人にはそっけなく、自分に都合のよい人には気を許します。
では、今から瞑想しましょう!」と申されたので私は、「はい!」と両足を蓮華座に組もうとしますと、
シャルマンジーは「オオー、ノーノー、スリーピング!」
つまり寝転びなさいと申されて、彼が寝転ぶのですから、私達三人は寝転んだのですが、そのとたん!3秒間ぐらいで「オッケー起きなさい!」と言われて、起きたとたん「ここは・・・・どこー???」 「あなた、だれー??・・」部屋の壁さえないし、光だけが・・・、という感じになりました。
一切がとっぱらわれてる空間にいるのです。
自分のオフイスという感じもしない、シャルマンジーが「オッケーシィー!今の体験を言いなさい!」と、申されました。
私は、「おおー スワミージィー 何も言葉が見当たりません!説明のしょうが在りません!」と申し上げますと、私の娘もワーッと泣き出しました。
「解かりました、解かりました、本当のことが・・・。」

差別のない愛と、平等智の世界がわかったのでした。素晴らしい体験をさせてくださいました。
これがグルのなさるヨーガのウパニシャッドの世界です。
「皆さん!たとえば富士山の山に登りますと自分の足元ばかりに気が取られていますね、それに富士山のまっただかの中に居ますと、富士山の雄大な美しさがまったく観えません。そのように、あまりのも近くにおられますと偉大な姿が観えていないのです。」

私が、シャッカル・シャルマンジーと瞑想して体験した事。
それはまさにウパニッシャドの世界です。語源の通り「師の傍に座る」だけでいいのです。
弟子は「ウパース」(尊信)のこころで自己を明け渡すのです。つまり空になるか、無になるのです。
自我をなくすのです。

境がないことが悟りなのです。

・・・次へ続く